2012年3月19日月曜日

与路の集落の移り変わり

1957(昭和32)年当時の集落[信川文夫氏より]
左の写真は私が手にしている写真で一番古い与路の集落である。家屋は全て茅葺き屋根で、山も現在と違い上の方まで開墾されているのが分かる。
下の写真は1964年の東京オリンピックの年に撮影された航空写真で、船着き場の位置も現在より中央にあることが分かる。




1964年当時の集落・航空写真[信川文夫氏より]











1964年当時の学校周辺と人文字[信川文夫氏より]




同じく1964年の学校周辺の様子で、家屋の配置がよく分かる。集落の小字名では写真の上の方がウーサ、下の方がナンゴーボラと思われ、宅地も調査していた頃よりも多い。当時は生け垣などが多く、珊瑚の石垣が広まっていくのはこれ以降ではないかと思われる。
下の写真は1980年代の集落の様子である。 中道もまだ舗装されず裸足でも歩ける優しい砂の道であった。








1980年代の集落
1996年8月の集落の様子









下の写真は1996年の集落の写真で、既に中道は舗装されていた。













2008年に訪れた時には1996年よりも護岸の防風林が広くなっており、小中学校も建て変わっていた。何よりも防潮のために前浜の沖にテトラポットが並べてあり、前は間の様子は一変していた。また、船着き場付近も埋め立ててあり、クモデと呼ばれるノロが儀式で用いた場所も無くなり、私にはショックであった。
それらの様子は映像で納めてあり、いずれ機会を見て公開したいと思う。

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