2026年2月28日土曜日

奄美下見調査記①船出(1980年12月23日~24日)

 はじめに.

 今ごろになって奄美の村落調査にむけての下見の記録を書くのは遅すぎるような気もするが、当時としては船旅など普通のことであったし、海外に行った旅行記ほどの珍しさはないと思っていて放っておいた。しかし、半世紀近く経った近年では東京や関西から奄美に通う船便も無くなり、奄美もかなり変わってきたと思うのでそれなりの価値があると思った。下見の記録は調査後すぐに書いたものではなくて、一年後に大学ノートに書いたもので、記憶だけに頼っていても定かでなくなってきたものもある。しかし、私は自分の体験したことや自分の興味のあったことはわりとしつこく憶えていて、1年後でも経験した場面が目の裏に映し出されていた。それで順を追って想い出しながら正確に記録できたように思う。

 私は当時南山大学の二年生で文化人類学研究会の村落調査班というサークルに所属していた。最初から奄美諸島の村を村落調査しようとは思っていたわけではなくて、上級生の班が行っていた奥三河や志摩半島あたりを考えて下見を続けていた。

 しかし、やりたいと思える決め手が無くて、かつて卒業生の大先輩が行った与論島の調査に負けないような調査がしたいと思うようになった。そこで大学の倉田勇先生に相談したら、加計呂麻島を紹介されて先生と勉強会も行うことができた。それでとにかくいくつかの村を回ってみようということになったのだ。


12月23日 出発前日

 大学の授業は今日でおしまいであった。学食に集まる予定をたててまっていたがNがなかなかあらわれなかった。Nは住んでいる自宅が遠いので、今晩は私の下宿に泊まる予定である。あいにくの雨で彼は動けなくなっているのだろうかと思い電話をしたが誰も出なかった。電話後、学食のいつもの場所に戻ってみるとリュックをもって彼はいた。 

 研究会の部室で打ち合わせ後、私の池下駅近くの下宿に向かったが、距離もあり雨が降っていて大変であった。下宿で荷物を置いた後で、今池へ買物に出かけた。必需品と土産である。土産は名古屋名物の外郎(ういろう)でなかなか重そうであった。

 その夜、先輩や同じ班で今回は下見に行けないメンバーが 差し入れをもって来てくれて、我々と老酒を飲んで一緒に楽しむことができた。

 その夜に床についたのは、11時頃であったがなかなか寝つかれず、Nはそのうち話が途切れたと思ったら寝てしまっていた。そして例の高いびきなのフトンをかぶって眠った。


12月24日

 朝、暗い5時頃起きて、家を出た雨は既に止んでいた 丸山神社に参ってから寒い寒いと言いながら地下鉄に乗り近鉄名古屋駅に向かった、駅ではもうKがいた。

 我々は特急には乗らず、急行に乗ったが通勤者と一緒になり 少し混雑していた。これから奄美へ行くという雰囲気ではなかった

しかし、これから奄美に行くと人が聞いたら少しは驚くかなと思いながら、もう船に乗ることに心がはせていた

 鈴鹿を越えるころから雪が景色を支配し始め、あたりは一面白一色となった。奄美の人に雪の話をしてやろうかなんて考えながら雪景色を楽しんだ。

 大阪に着いて環状線に乗りかえ、大阪駅で東海道線の下りに乗りかえ神戸元町に降りた。神戸の町は名古屋より寒いような気がしたが、 たぶん六甲おろしというやつであろう。

 元町の街は私にはなじみがあって、なつかしく歩いてのだが、だいたいの目ぼしつけて中突堤にたどり着いた。そして待合所に入るともう人だかりで、これ全員が乗れるのかと心配しながら、周りの人が普段目にしている顔と違うこと、全く分からぬ言葉を話していることに、これから異文化の地へ向かうことが実感としてて分った。

 整理番与をもらって順を持ち、2等船室に入って自分たちの場所を確保するのがやっとであった。近くには若い学生風の女2人男1人、一人の中年男性、その他さもしい学生風の人、子供連れの婦人たちがいた。みんななれたもので、毛布を確保して寝ころんでいた。中年男性の人から聞く話では悪天候で飛行機が飛ばないので、急に船に変更したといううことであった。

 出航時、船の外はテープが飛びかい蛍の光が流れ、人の名を呼び合う声がひとしきりであった。ああ船出だなという感じである。心地よい船のエンジンの音を感じながら、さっそく買い込んだ酒を飲み始めた、中年の人も、「これが酔わんための薬だ」とビールを飲んでいた。もさこい学生はしきりに流行のリュービック キューブをいじっていたが、いっこうにらちがあかないようすであった。

 自分たちは奄美の人というものを特別に意識しすぎているため、どうも本土の人と分けて考えたがる。それで周りの人を全員奄美の人かどうか気にかかったが、付近の人は、その風貌から少くとも奄美・沖縄出身者に間違いはなかった。失礼な話だが当時としては、何か少し怖さのようなものを感じたことを否めない

 しばらくして、甲板に出たが風が強くて寒くてとてもじっとしていられなかった。夕闇がせまるころ海は荒れだした。食堂が開かないということで弁当の販売があった。

 波ばずいぶんひどくなり、老人がまず酔い始め、若い者もまいってきていた。中年男性にいわせれば昔はもっとひどいこともあった そうだ、それでもなかなか慣れないとみえてたいがいの人はまんじりともせず眠っていた。隣の若い男女もだめであった

 中年男性と話をしたが、その人は加計呂麻の諸鈍の人であったが学生の調査には年寄りが困っていると言っていた。また、わざわざあの諸鈍ばやしを学者が来ると言っては練習にするそうで、島には若い人もいないのでなかなか大変だということである。

 あと、タバコがなかなかないということで買って行ったよが 良いと言っていた。

 家は自分で殆どの人が建てるそうで、この人も自分で建てたそうだった。

 ソテツがゆのことを聞いたが、それ自体は味は全くなく、おいしいというものではない。、むしろナリミソ(ソテツの実で作った味噌)がなつかしいということであった。奄美はかわってしまうのではないかということに関して、なかなか奄美はかわるものではないという答えがかえってきた。 

 その中年男性とKが将棋をしたが、途中Kが吐き気をもよおし、だめになった。

 自分は小さい頃に乗っていたという自信もあって全然平気で身を起こしこの修羅権をながめていた。


2026年2月24日火曜日

「命と絆の人類学ー奄美与路島の世界(仮称)」目次

 命と絆の人類学ー奄美与路島の世界 (仮称)」      

はじめに

 第一書房から2006年に『奄美与路島の「住まい」と「空間」』を出版した折りには与路島の文化人類学および民俗学の視点で村落調査した結果を2分冊ないし3分冊でどんな形でも続けて報告するつもりでいた。それが兵庫教育大学への長期研修を利用して奄美に関する教育史研究にも着手する機会を得、その中で教育に関わる歴史においては琉球という地域だけに拘らず、時代においても中世から近代までを対象として修士論文という形で簡単にまとめることができた。一方、奄美諸島に関する研究は考古学、言語学や「おもろ」研究を中心に飛躍的に進展しており、奄美諸島の位置づけを現時点で自分なりに総括して、その上で与路島を位置づけてみようと思うようになった。総括といっても厖大な文献を繙きながら、やれどもやれどもきりがないという状態であり、このままでは何年経っても報告できずじまいになると感じだした。そこで意を決してまだ半ばとは感じつつも現時点での研究をまとめて報告することにしたが、まずは原稿がある程度完成している事柄からネットを通して報告することにした。完成できたら出版することもできるかもしれないが、前回の出版の個人負担経験からできない可能性の方が高い。報告できないまま終わるのは忍びないのであえてこういう形で報告することにした。

 論文や報告文章はbloggerの「奄美諸島与路島のフィールドノート」に発表することにして、長文になるときはPDFにアクセスしてもらうことにしている。次の目次にリンクを貼り付けるので利用していただきたい。公開した後で抜けている事柄や、間違いがあればその都度訂正していくつもりであり、完成品としての公開で無いことは前もってお詫びしておかねばならない。


序                              

1 本書の課題

(1)債務奴隷制の再考

家畜と人身売買

身請けと解放

身分と階級

家父長制問題と債務強制労働

(2)作られる時間

(3)生命観と霊魂

  1章 与路の概要              

 Ⅰ 社会の絆と競い

2章 村役組織と神役組織         

  1 島津藩支配下の行政組織と島役人

 2 遠島と流人

 3 ノロと神役組織

  ノロとオアムシャレ

  神役組織

 4 村寄合と自治組織

3章 土地所有と家人         

  1 与路の土地保有

   歴史的背景

   明治以降の土地保有

   現在の土地保有状況

 2 経済活動と家人(ヤンチュ)

   財物性と地位

   家人(ヤンチュ)の人間関係


 4章 家族と親族

  与路の家族(ヤーニンジョ)と家(ヤ)

 共住単位と世帯に示された家(ヤ)

 共住単位と儀礼単位としての家(ヤ)

 家(ヤ)の相続と継承

 位牌と火のカミの継承


Ⅱ 生活と時間


 5章 時間と暦

1 生業と暦((1)) 

 「時間」の観念

(1) 一日のくらし       

 行動のながれ

(2)一年のくらし

 暦と知識

 暦と季節

2 生業(なりわい)のの技術と実践

 (1)農耕と畜産

 水田作物

 畑作

 畜産

3 漁撈と採集

4 職能と労働

3 神人祭祀と暦

 (1) 神人の祭祀「神遊び」

 親ノロの祭祀

 七神人の祭祀

 全神人の祭祀

 (2) 神人の祭祀のモデル

[マッタブの話]

 [米の由来の話]

 [ハブと女の話]

 (3) 祭祀の場での共食と贈答


6章 祝い・遊び・お待ち

1 祝いと競い

「祝い」型祭祀の特徴

2 遊びと憩い

(1)「遊び」の祭祀

(2)「遊び」型祭祀の特徴

(3)「仕事始め」の祭祀

(4)「遊び」型祭祀の特徴

 3 御待ちと祈り

(1)「御待ち」と「拝み」の祭祀

(2)「迎え」「送り」の祭祀

(3)「御待ち」型祭祀の特徴

 4 社会関係の分析


 Ⅲ 生命と霊魂

7章 人格と神格

1 生命観

(1) 霊魂(タマ) と 霊(マブリ)

(2)「タマ」と「モノ」

2 身体観

(1) 身体

(2) 衣

(3)身体に示された方向と生命観


8章 誕生と成長

1、妊娠と出産

(1)出産前

(2)出産

(3)産育に関する考察 

2 幼年期:ワラビと青年期:ニセ

(1)幼年期の生活

(2)子どもに対する行事

(3)青年期の生活


9章 結婚と老い

1 結婚 

(1)婚姻前

(2)婚姻儀礼とその分析

2 老人:オッショーとアンマ 

(1)年の祝い      →祝いと競い

(2)女性と神役


10章 死者と先祖

1 死者

(1)死の前後

(2)葬送儀礼

(3)喪屋(モーヤ)と風葬

(4)特別な死者の場合の扱い

(5)葬制の分析

2 死者の家と家族

(1) 死との分離

(2) 死からの回復

(3) 先祖供養と位牌祭祀

終章


与路島関連の参考・引用文献

与路の概要

与路島関連の参考・引用文献

 







2012年7月27日金曜日

三丁落鼻


 三丁鼻と落殺刑
三丁鼻
桟橋から見た三丁鼻
干潮時の三丁鼻

ある時役人が落殺者をつれて三丁鼻に行き処刑を執行することになった。太陽が東から昇る頃だったという。罪人は、刑の執行前に役人に次のことを懇願した。「太陽を前にして死んでいくのは忍び難い、この世の最後なのでどうか太陽を後ろ向きにして落としてくれないか。」と役人は願いをかなえてあげた。そして落殺の瞬間、罪人は役人をしっかりと抱きしめ奈落の底へと落下していったのである。それ以降、落殺処刑は行われなかったと言われている。[与路島誌:三二][石原2006:233]



前浜(1985年当時)

 前浜 (手前が南)
 トビャラとエンマラク
[石原2006:172、180]
 前浜の南端
[石原2006:172] 
クモデ(現在は埋められて消失)
神人行事が行われた場所
 ウムケ オーホリ

2012年7月26日木曜日

家屋

 調査合宿(1982年2~3月)で使わせてもらった家屋
 家屋の配置
 与路でもっとも古い家屋